名古屋高等裁判所金沢支部 昭和28年(ナ)1号 判決
原告 中辻博
被告 石川県選挙管理委員会
一、主 文
昭和二十七年十月五日執行の寺井野町々議会議員選挙に於ける訴外田中義之の当選無効の宣言を求める原告の訴願を棄却する旨の同年十二月十一日附被告の裁決は之を取消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
二、事 実
原告訴訟代理人は主文第一、二項同旨の判決を求め、被告は原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求めた。
原告の請求原因として述べたところの要旨は次の通りである。
(一) 昭和二十七年十月五日石川県能美郡寺井野町に於ては、町議会議員一名の欠員を補充するため町議会議員選挙が行われた。而して原告は之に立候補した。
(二) 右選挙の結果寺井野町選挙管理委員会(以下町委員会と略称)は開票の結果訴外田中義之は一三八一票、原告は一三七九票の夫々有効投票ありとして当日深夜右田中の当選を決定した。
(三) 原告は右町委員会の決定は無効であるとし、その理由は、原告中辻博に投票したりと認むべき投票六票を町委員会に於て故意に無効なりと妄断した結果前記のような決定となつたもので右六票を有効とすると、有効投票は原告中辻博一三八五票、訴外田中義之一三八一票となり、原告が当選の決定を受くべきものであるとして町委員会に異議申立を為した。
(四) 町委員会は右申立に対し昭和二十七年十一月七日異議申立の理由相立たずとし、その理由とするところは町委員会が無効と認めた「辻」等の六票は筆跡が良識者の字体であつて、右は同年十月一日施行された国会議員選挙に立候補して当選した辻政信を意味するものと断じ、原告の通称辻又は<辻>が十数年間地方人に親灸せられている事実に目を蔽うたものである。
(五) 右町委員会の決定に対して原告は被告石川県選挙管理委員会(以下被告委員会と略称)に訴願した処、被告委員会は争点たる辻の投票を有効とするや否やに付激論研究を為したのであるが、同委員会は多数決の下に右六票を無効なりとして、依然本件選挙には関係のない辻政信を意味して投票したもので原告を指向しての投票と認められないと断じ、一方訴外田中の有効投票として「たな」「タナ」「タナ」の各一票計三票を計算し、その理由としてその字体及び筆勢から判断して右田中の有効投票と認められる云々と妄断して、その結果右田中の有効投票一三八一票、原告の有効投票一三七九票の結論を引出して昭和二十七年十二月十一日原告の訴願請求を棄却した。(原告は同年同月十五日にこの裁決書の謄本の交付をうけた)
(六) 前記裁決理由が理不尽であることは暫らく措くとして、原告は
(イ) 右の「辻」という 三票
「つじ」という 一票
「ツヂ」という 一票
「ツチ」という 一票
計六票は当然原告に投票したものと認むべきであり、又当該投票者中右は原告に投票したものであると名乗り出ており、之を訴外辻政信えの投票印象の残影であると誣ゆるは吾人の良識に反し、加之原告の生業商号<辻>は十数年来町民に親灸されており、更に原告を知る者は同人との問答用語(略称)として辻(つぢ)と呼びなれているものであつて、これら六票は原告えの有効投票と計算して同人の投票数を一三八五票と計上するを至当とすべく
(ロ) 仮に右六票を無効とするとせば訴外田中の有効投票中「たな」「タナ」「タナ」の三票を筆勢から判断して右田中のものとなすは独断であつて、若し同年十月一日の国会議員選挙に「田中」「田辺」「棚橋」等の立候補者ありとせば、之れ又国会議員候補者氏名の追憶としての投票として無効と断じなければならない窮地に追い込まれ、その決定の混乱、紛淆を招来するを免れず、両者(「辻」「つぢ」と「タナ」「たな」)を共に無効とするを公平とすべく、その結果右田中の有効投票は一三七八票となり、原告よりも一票下位にあり原告の当選を決定すべき筋合となるので請求の趣旨記載の判決を求める次第である。
被告委員会の答弁の要旨は次の通りである。
事実の経過は原告の申立の通りであるが次の理由で原告の主張は排斥せらるべきである。
(一) 原告に投票するため「辻」「つじ」「ツヂ」又は「ツチ」と記載したと証言する者がいてもこれは「すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない」という憲法の保障を侵害することとなるから、そのような証言を証拠として採用することはできない。
(二) 原告の生業商号「<辻>」は十数年来町民に親灸されており、原告を知る者は同人との問答用語として「辻」と呼び慣れているということについてであるが、通称であるとすれば通常選挙人一般に通用していなければならないものと思うが、被告県委員会が訴願の裁決に当り寺井野全区域に亘つて抽出調査(その調査方法は選挙人名簿中から百五十名毎に順次一名宛計二十五名を抽出して各個に質問した)したところによれば原告を「<辻>」又「辻」と呼ぶものはなかつた、又「<辻>」又は「辻」が原告の通称であることを知つている者もなかつたので「<辻>」又は「辻」を原告の通称とは認め難い。
(三) 投票の効力は投票面の記載と選挙当時における諸般の事情を十分参酌して決定しなければならないことはいうまでもないところであらう。
(1) 係争の「たな」「タナ」及び「タナ」と記載された投票については、どの候補者を指すのであるかを確実に知り得ないから無効と解されることもあるであらうけれ共、立候補制度をとる選挙では反対すべき特別の事情のない限り、投票は候補者中の一名に向けられたと推定すべきであり、又その投票に現われた氏名の記載が正確を欠き、文字の不解明、誤字、あて字、文字の転倒等があつてもそれが候補者の氏名又は氏若くは名に近似しており、他にこれに類似する氏名又は氏若くは名を有する候補者がないときは、その候補者に対する投票と認定するのが相当であろう、本件の投票の記載について考えると、「たな」及び「タナ」と記載された投票については、その記載の幼稚、拙劣な筆跡からみて「たなか」又は「タナカ」と記載するに当り誤つて「か」又は「カ」の一字を脱落したものと推定せられる余地を有するものと解されるし、「タナ」と記載された投票については、その記載の幼稚拙劣な筆跡及び字体からみて「タナカ」と記載するに当り「カ」の字を失念し、誤つて「」と記載したものと推定せられる。殊にこの選挙においては選挙すべき議員定数一人に対し候補者四人という競争率から考えても、又選挙人の自覚により文字を知らない者が短時日の間に練習して記憶しようとしたが、投票所において記載する際、その一字を脱落し又は誤つたと見ることは、その筆勢の幼稚、拙劣な点からみて容易に推定し得られるところであるから、これを「公職の候補者の何人を記載したかを確認しがたいもの」として無効とするよりは候補者田中義之を指した有効投票と認めることを妥当とする。
(2) 又「辻」「つじ」「ツヂ」及び「ツチ」と記載された投票については、これらの筆跡が何れも明確であり、本件選挙当時における事情を考察すれば十月一日執行の国会議員選挙に辻姓の候補者が実在したことの一事を以てしてもこれらの投票は原告に向けられた投票であるという主張に対する反対理由となるのであるが、この選挙における無効投票一〇七票の内訳は(選挙録によれば無効投票は一〇八票となつているが白紙投票とされていたものの中から「たけた」(武田源一郎という候補者がいた)と記載された投票が一票発見された)次の通りである。
(い) 候補者でない者の氏名を記載したもの 五八票
(ろ) 二人以上の候補者の氏名を記載したもの 一票
(は) 候補者の何人を記載したかを確認しがたいもの 三票
(に) 白紙投票 二〇票
(ほ) 単に雑事を記載したもの 二五票
「候補者でない者の氏名を記載したもの」が右の通り無効投票総数の過半数を占め、その混乱の程度が推察できたのであるがその中に「森島」(衆議院議員選挙候補者)と記載された投票を発見するに及び益々原告を指す投票とは認めがたいとの解釈を強くしたのである。
(四) 尚『若し十月一日の国会選挙に「田中」「田辺」「棚橋」等の立候補ありとせば』という仮想のことについては事実を認定すべきこの訴訟においては全く関係がないものと考えられる。尚原告が被告から訴願請求棄却裁決書謄本の交付を受けた日が、昭和二十七年十二月十五日であることは争わないと述べた(各証拠省略)。
三、理 由
昭和二十七年十月五日石川県能美郡寺井野町に於て町議会議員一名の欠員補充選挙が行われ、原告が之に立候補したこと、右選挙に於て町委員会は開票の結果訴外田中義之は一三八一票、原告は一三七九票の夫々有効投票ありとして当日右田中の当選を決定したこと、同年十月十三日原告は右町委員会の決定は原告に投票したと認むべき投票六票を故意に無効と妄断したもので当然無効であり、右六票を有効とすると、有効投票は原告一三八五票、訴外田中一三八一票となり原告が当選の決定を受くべきであるとして町委員会え異議の申立をしたこと、町委員会は右申立に対し昭和二十七年十一月七日その理由相立たずとし、その理由は町委員会が無効と認めた「辻」等の六票はその筆跡が良識者の字体であつて、これは同年十月一日施行された国会議員選挙に立候補して当選した辻政信を意味するものであるというにあつたこと、更に右町委員会の決定に対し原告は被告委員会に訴願したところ、原告主張のような理由で同年十二月十一日被告委員会は右訴願を棄却するとの裁決を下し、同年同月十五日この裁決書の謄本を原告に交付したことは当事者間に争がない。
そこで(一)、検証の結果、成立に争のない甲号各証(但し同第九号証は証拠としない)証人橋爪芳郎、森清松、石田源次、塩村和子、石立義盛、小坂てい、林義尚、寺田勝武、杉浦勇次、中浦義一、東森甚吾、佐田清二、南平作、作田艶子、小田政二、山下一二三、山下助一、角野叶、樋口勝次及び米沢清一の各証言を綜合すれば原告が町委員会において原告の有効投票とせられた外に、なお加算さるべきものとする六票の投票とは同委員会において無効投票とせられた百八票中に存する「辻」と記載された三票、「つじ」と記載された一票、「ツヂ」と記載された一票及び「ツチ」と記載された一票(検証調書別紙第三実物大参照)を指するものであるところ本件選挙の昭和二十七年十月五日直前の同月一日施行された衆議院議員選挙に立候補し当選した辻政信なるものが当該寺井野町附近で多数の得票があり、従つて同地方の選挙人にその人物なり姓名なりが本件選挙当時においても相当強く印象を残していたことはこれを想像し得るのであるが、右辻政信は本件選挙に立候補してもおらず、且つ原告の姓名中に「辻」の文字が存することから考えて右六個の投票は右辻政信に対するものとすることは些か早計に過ぐるものがあり被告の主張する「森島」なる投票(右無効投票とされた百八票中の一票)は右衆議院議員選挙に立候補した森島なる人物と同一の姓を表示しており、且つ本件選挙の立候補者(中辻博、田中義之、本多直一及び武田源一郎)中これと同一若くわ類似の姓を有するものがなかつたのであるから、該投票が右衆議院議員選挙に立候補した森島なる人物に対するものとすることは一応首肯し得られるのであるが、このように本件選挙の立候補者に関係がないと認められる場合と本件選挙の立候補者中に該当者のあることが疑われる「辻」「つじ」「ツヂ」「ツチ」の各投票とは同一に結論し得ないものというべく、更に前顕各証拠によれば原告が当該寺井野町一帯において一般的に辻又は<辻>と呼ばれているということは認められず、従つて原告の通称が「辻」又は「<辻>」であるとはいえないにしても原告は十数年以前のことではあるが嘗て<辻>の商号を使用して寺井野町一帯で相当手広く各種の事業を営んでいたものであり、同時に原告と小学生時代の同級生であつた人々の間には原告を単に「辻」と呼称しておること、従つて同町においても或る範囲の選挙人間には原告が「辻」と呼称せられておることは否定し得ないところであり、現にこのことは当事者間に原告中辻博に対する有効投票として争のない「辻ひろし」なる投票(検証調書別紙第七実物大参照)の存することによつてもその片鱗が窺えることである。然り而して被告が原告のため不利な事情として主張する辻政信の選挙人に対する印象の残存ということはその「辻」なる姓若くは文字が本件選挙に際して選挙人に印象づけられていたため選挙人がその印象に災されて「中辻」「なかつじ」「ナカツジ」等とすべきところを単に「辻」「つじ」「ツヂ」「ツチ」等と記載するに到つたとも考えられる余地が存するのであつて必ずしもそのことは原告のため不利な事情ともいいきれず、又前示問題の六票には特に原告でなくして辻政信を志向したものとすべき徴憑、例えば「辻政」とか「つぢまさ」という様な記載もないのである如上諸般の事情からすれば被告委員会が争ある投票(後に論及する「たな」「タナ」「タナ」の投票)を田中義之のためのものとする場合の論旨と同じく公職選挙法第六十七条の精神から稽えて前示問題の六票は原告のためになされた有効投票となすのが妥当であるといわざるを得ないのであり、右の投票の筆跡が拙劣でなく普通以上であることを以ても右の見解は左右し難く又被告委員会の全立証趣旨を以ても右各認定を覆すに足らない。
(二)、次に町委員会において原告の有効投票とされておる中の二票(検証調書別紙第七、八実物大参照)については被告委員会は有効とすべきではないと主張するけれども、前示検証の結果によれば該二票はその記載自体から「中辻博」と記載したものであることが認められないことはないのであり、
(三)、次に原告は町委員会において田中義之の有効投票とした内の五票は無効であると主張するが、前示検証の結果によればその一票に「田中イチモン」なる記載が存し前示米沢証人の証言から明かなように田中義之の通称は「イチエモン」というのであるから右の投票は同人に対する投票と認められるし又その中の一票(検証調書別紙第四実物大参照)は田中なる文字の稚拙なりしとその墨汁の過多なりしためその文字の輪郭に不鮮明を来したことが認められ又その中の二票の「タナ」「たな」(検証調書別紙第五、六実物大参照)はいずれも「タナカ」「たなか」と記載すべきところその「カ」「か」を誤つて脱落せしめたものと考えられるから以上四票は田中義之の有効投票であり又他の一票の「田中りゆ一」なる投票は他事記載ある無効投票でそのことは当事者間にも争のないところであるが一方町委員会で無効とされたる八票の一票に記載されている「ダナ」(検証調書別紙第二実物大参照)は被告委員会所論の通りその記載自体から田中義之を表示するため「タナカ」と記載すべきところ文字記憶の不正確と運筆拙劣のため「カ」の文字を正確に記載し得なかつたもので同人の有効投票と解すべく結局右田中義之の有効投票はその総計において依然一三八一票となり増減がないとせねばならない。
以上説示のように前示認定に従えば原告の有効投票は町委員会で有効と判定された一三七九票に更に問題の六票を加えた一三八五票であり従つて田中義之の有効投票を四票超過することは算数上明かである。然るに被告委員会が原告の有効投票を一三七九票とし、田中義之の有効投票より二票下位にあるものとして原告の訴願に対し棄却の裁決をしたのは失当であつて原告の本訴請求は理由があり、右裁決は取消を免れない依つて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文の通り判決する。
(裁判官 山田市平 村上久治 伊藤寅男)